自分探しで満たされない私へ。

 

久しぶりに、視界のモヤが晴れて、なんかスッキリしてるかもっていう感覚を味わえている。

せっかくなので記録しておこうと思う。

 

※一部ネタバレを含む、結構長めの読書ノートです。

 

 

本の紹介

読んだ本/自分とか、ないから。教養としての東洋哲学

著者/しんめいP

出版社サンクチュアリ出版

 

タイトルの「自分とか、ないから。」と、付いてた帯の「人生激ムズくない?」「自分探し、まさかの答え」に惹かれて手に取りました。

 

 

※私は無宗教です。

 

 

 

ざっくり感想

 結論から言うと、この本における「自分探し」の答えは、

「そもそも自分とかないから探しても見つかんないよ。ないもの探してても苦しいだけだよ。」というもの。

 

やっぱり哲学なだけあって、抽象的。

ただ、文体が話し口調で、ツッコミや心の声もあって、クスッと笑えるところもあった。

それに、挿絵はほぼ、「いらすとや」。堅苦しさなんてまったくない。

私の中で、哲学へのハードルが、ぐっと下がった。

 

著者が言うように、生きづらさがちょっと軽くなるかもくらいの気持ちで読むのがちょうどいいと思った。

行き詰まったときに、あーそういえばこんなこと書いてたなーって思い出せるだけでも十分かもしれない。

 

 

 

 

印象に残ったこと(ここからは自分の解釈多め)

 

#すべてはフィクションである

例えば、仲の良い男女が、「付き合おう」「いいよ」って口約束しただけで、

友達から彼氏と彼女という関係になる。

 

当たり前すぎて何も思わなかったけど、

「今からあなたが彼氏役で私が彼女役ね」って、お互いが合意しただけ。

 

作った役目をお互いが受け入れ、周りも認めるから、ただの冗談じゃなく本当の話みたいになる。

でも、結局は人が勝手に作ったお話

 

 

それから、仕事の評価も同じ。

「前の上司は尊敬できた。今の上司はダメ」と思うのも、

自分で作った“理想”や“基準”に照らし合わせて、そう判断している。

 

「この人は仕事ができる/できない」と、

登場人物の設定を自分が作って、信じてる。

 

その作り話に共感してくれる人が増えると、本当の話みたいに見えてくる。

 

つまり、

「上司が仕事できなくてモヤモヤしてる」のではなく、

上司に設定した"自分の作り話"を信じているからモヤモヤしてる

ってことになるから、ちょっと笑えてくる。

 

 

 

#道(タオ)の使い手「タオイスト」

 タオイストになると、世界を”フィクション”として見れるようになるらしい。

目の前のことだけじゃなく、もっと広い視野で生きてる感じ。

 

たとえばInstagram

あそこはもう、作られた“自分”の発表会みたいなもの。

 

普通の人なら、友達のキラキラ投稿を見て、うわーいいなー、充実しててうらやましいーってなりがち。

でも、タオイストは、その投稿もフィクションだと理解している。

だから、落ち込んだり、比較したりしない。

 

さらにタオイストは、何かを成し遂げても、それを誇らない。

 

ぱっと思い浮かんだのは、大谷翔平

周りから「天才!すごい!」って言われてるけど、本人は動じない(ように見える)。

 

私たちが見ている世界の“さらに先”を見据えて生きてる感じ。

ああいう人は、きっとタオイスト。

 

BE:FIRSTのScreamの歌詞に、

壁やルールは、思い込んでるだけで最初からないんだ

ってあるんだけど、まさにタオイストの考え方。

 

壁とかルールも結局はフィクション。

タオイストは、

「その壁も作り話」と気づいて、一つひとつ原因に向き合うだけ。

だから、うまくいく。

 

 

ここで、私の実体験。

 

私は、公務員を辞めて転職した。

公務員を辞めようとしたとき、

もったいない、辞めたら後悔するよってたくさん言われた。辞めるとかなに考えてんのって怒られたこともあった。

言われ過ぎて、転職したい自分の気持ちがよくわからなくなった。

 

でも今思えば、

公務員なら一生安定

公務員は恵まれた環境

辞めたら人生終わる

っていうのも誰かの作り話だった。

 

当時の私は、周りからの話を受け取りすぎて、何が正解なんだよって、軸がブレブレだった。

 

でも最終的に、

「公務員を辞めたから人生終わるって、根拠なくね?」ってところにいきついて、前に進めた。

 

あのときの私は、少しだけ“道(タオ)”の境地にいたのかもしれない。

 

 

 

#言葉を捨てろ

この本を読んでなるほどなって思ったところ。

 

「自分ってダメだな」

「今行動しないと時間を無駄にしてる気がする」

とか、漠然とした不安や焦りを感じたときどうしたらいいのか。

 

最近の私はまさにそれで、

何かわかんないけどスッキリしない毎日。

「なぜこう思うのか?」を言葉にすれば解決すると思って、ChatGPTに相談してた。

でも結局よく分かんなくなって、ただ時間が過ぎてた。

 

 

で、どうしたらいいかの答えは、

「言葉を捨てろ」

 

 

東洋哲学におけるゴール(空(くう)や道(タオ))とは、

言葉を超えた境地にたどり着くこと

 

だから、言葉にしようとする時点で、タオイストにはなれない。

 

漠然と悩み始めた時こそ、タオイストから遠ざかっているサイン。

 

そんなときは、散歩でも運動でもいい。

とにかく"言葉の世界"から離れること。

 

言葉を手放したとき、ふとアイデアが降ってくる。

それを待つ。

 

 

 

身近に感じた「言葉を超えた境地」

私なりに「言葉を超えた境地」ってどういう時か考えてみた。

 

本には、「言葉にならねぇ」瞬間と書かれていた。

 

私が近いと感じたのは、こんな時。

 

海を見たとき

高い場所から街を見下ろしたとき

満天の星空を見上げたとき

 

そういう時って、

「あぁ、自分ってちっぽけだなぁ」って思う。

 

壮大な自然の中の、ほんの一部としての自分を感じる。

 

宇宙から見たら、私なんてもう、存在してるかも分からないくらい小さな存在。

 

今悩んでいることなんて、案外どうでもよくなる。

 

こんな失敗はちっちゃいか~(あの曲みたいに)って感じ。

 

 

 

まとめ(私の解釈)

「自分とか、ないから。」

その言葉を見たとき、最初はハテナがいっぱいだった。

「自分がない」ってどういうこと?って。

 

でも――

この世界がすべてフィクション、作り話で成り立っていると考えると、

「自分」という存在を定義するあらゆる要素も、実は作り話にすぎないのかもしれない。

 

多くの人が「自分探し」をするとき、

生まれつきの特別な何かや、変わらない本質みたいな“答え”を探している気がする。

「私は本当はこうありたい」とか「大切にすべきものがあるはず」って。

そういうものが自分の中に埋もれてて、芽を出さないだけだって。

 

でも、自己分析をやってもやっても自分なんて見つからないし、ずっと苦しい。

終わりが見えない。

 

 

実のところ、誰かに「あなたらしいね」って言われたとして、

「たしかにそうかも」って思い込んだ瞬間、

それが“私らしさ”になる。

 

自分がそうだと信じれば、

それが自分にとっての“本当の姿”っぽくなっていく。

 

 

もし、「自分探しって何?」という問いに答えるなら、

それはたぶん、

「確固たる何かを見つけること」じゃなくて、

“しっくりくる物語”を見つけて、自分で選び、信じること。

 

過去の経験を振り返って、

「あのときの私は、こういうことを大切にしていたのかも」と思ったり、

「私はこういう在り方が好きなんだな」と納得できた物語を信じること。

 

その物語は、いくらでも書き直していいし、

自分にフィットする形に変えていっていい。

 

自分で作った

“ありのままっぽい自分”

“やりたがってそうなこと”

それらを自然に信じられたとき、

それが"自分"になる。

 

 

 

 

……って、ここまで書いたんだけど、

 

タオイストは、そもそも言葉を超えたところにいるから、

自分探しとか在り方とか、そんな次元にいないんだよね。

 

もしかすると、

“自分探しにとらわれない生き方”が、今の私に必要なのかもしれない。

 

 

さいごに、

_______________

自分探しで満たされない私へ。

 

今までずっと探してた「本当の自分」って、どこにもないみたい。

 

自分探し、疲れたでしょ。

よくやってたよ。

ここまで諦めずに自分と向き合ってきたの、すごい。おつかれ。

 

これからはもう、探さなくていい。

「これが私」って自分で名乗ってみるのも悪くない。

なんか違うって思えば変えればいい。

 

言葉にできる“自分”も、

その枠さえも越えて生きていく。

 

そんな生き方も、かっこいい。

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